INTERVIEW

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王舟「Wang」ができるまで vol.1

  • 2014.06.18
王舟と初めてちゃんと話したのはいつだったかを思い出してみると、それはわりと劇的な夜だった。
2011年の暮れ、SAKEROCKを脱退すると発表した田中馨(Hei Tanaka、ショピン)たちと阿佐ヶ谷の四文屋で飲んでいて、終電を迎えても飲み足りなそうな雰囲気だった馨くんが「Rojiに行きたい」と言い出したのだ。
もう閉店してもおかしくない時間帯だったが、Rojiの階段をのぼって、すこしだけ飲む時間をもらった。そのとき、すでにそこに先客としていたのか、おなじような理由でRojiに立ち寄ったのか忘れてしまったけれど、王舟と同席でしばし酒を飲み交わすことになった(ほどなくして、これまたおなじような理由で三輪二郎も店に現れたのだが)。そして、「ちょっとの間」のつもりだったその時間は、結局、明け方まで及んだと記憶している。気がついたら、田中馨と三輪二郎は床に寝転がっていた。
王舟とその夜、どういう話で盛り上がったのか、なぜかほとんど覚えていないが、ぼくは王舟のうわさを知っていた。中国人であること。シンガー・ソングライターであること。八丁堀にある七針というライヴハウスでの活動から名前が知れ渡るようになった、何人かの気になるインディー・ミュージシャンのひとりであること。トクマルシューゴも一目置く存在であること。そのトクマルシューゴ主宰のフェス〈Tonofon Festival 2011〉に出演し、ほぼ無名の存在だったにもかかわらず物販のCD-Rが完売したらしいこと。
ところが、ちょっと神秘的とすら思わせる、そうしたうわさの数々に比して、その夜、じっさいにしゃべった王舟は、斜に構えるようなところがいっさいなく、人なつこく、無意味な話をして屈託なく楽しい、愛すべき酔っぱらいだった。また、そうした酒の席のゆらゆらふわふわとしたムードに漂っていながら、それでいて、ちょっとした言葉の綾や、適当に流されてしまいそうな話をほったらかしにしない部分もあると知った。これは彼が日本に来てから何もわからない状態で日本語を覚えていった敬虔となにか関係しているのかもしれないし、いい加減なようでいて、生まれ持ったまじめさを感じさせる性格というか、血筋みたいなもから来ていることなのかもしれない。
あるいはそれは、広い景色や空間に竿をぽつっと垂らして、なにか個人的なものを引き当てることができるような力なのだろうか。単なる集中力とか、すごい技術というのともなにか違う、極端な広さと極端な近さを兼ね備えた表現というのかな。大きな何かの歌でもあるようにも、その歌を受けとった人にとってごく個人的に作用する歌のようにも聞こえてしまう。日本人離れというか、大陸的というか。王舟がときどき歌うカントリーっぽい歌が、サマになるのには、そういう秘密みたいな部分が作用しているんじゃないかなと思う。もちろん、CD-Rでしか世に出ていないのに、もうずっと愛されているあの名曲「Thailand」もそう。

2011年の暮れの、あの晩に話したことで、覚えている数少ないことのひとつは、王舟がアルバムを作ろうとしていたということだった。試行錯誤ややり直し、中断などを経て、今、ようやく王舟のファースト・アルバムのためのインタビューをすることができる。
ききたいことはたくさんあるけど、まずはこの人なつこすぎる神秘の男、王舟の音楽的な生い立ちを紐解こうと思う。




———— ファースト・アルバム『Wang』完成、おめでとうございます。時間……、かかりましたね。
王舟 かかりましたね(笑)

———— 「時間をかけた」という意識は自分ではあるんですか?
王舟 かけた意識はなくて、かかっちゃったって感じですね。つっても、アルバムのために作業した期間は、あわせても3ヶ月くらいなんですよ。

———— そもそも、2010年に出した2枚のCD-R『賛成』『Thailand』(2枚とも鳥獣虫魚)があって、もうすぐにアルバムを続けて出すつもりだったんじゃないんですか?
王舟 そうですね。次の年くらいから作り始めてて。流れ的にも「次はアルバム出さなきゃ」って思ってました。

———— トクマルシューゴ主宰のTonofon Festival 2011(2011年6月12日、所沢航空公園)での演奏がすごく話題になったし、そこでアルバムを、というのが公私ともに望まれていた気がする。
王舟 アルバム用の録音は前に一回してみたんですけど、うまくいかなかったんです。ミックスもし始めたんですけど、そこからよくなる感じがしなくて、録り直しもして。結局、売るのも自分でやってるわけだし、どうしても出さなきゃいけない理由もなかったんですよ。「もうちょっといいものができる」とも思ったし。出すんだったら、もうちょっといろんな人が参加してるものというか、区別をしたかったんです。

———— 『賛成』『Thailand』おなじものを作ってもしょうがないと。
王舟 そうですね。

———— そんな感じで一度は永遠に出ないんじゃないかとみんなが心配していたアルバムが、ようやく出たということで、今回はロング・インタビューをする機会をいただきました。あらためて、このアルバム『Wang』に至る長い道のりをたどってみようと思うんです。まずは、中国の上海生まれで、小学校のころに日本の栃木県に移住した、その少年時代の音楽履歴から始めさせてください。日本に来る前に聴いてた音楽のこととか、覚えてますか?
王舟 ちっちゃいころに上海でニューオリンズ・ジャズを結構聞いてたんですよ。でも、そのころの記憶って、一回日本に来てから、完全に途切れて忘れてた。それを、NRQを聴いたときに思い出したんです。上海って60歳〜80歳ぐらいのメンバーが組んでるニューオリンズ・ジャズバンドが昔からあって、好きだったんですよ。NRQを聴いたときに、上海のイメージがすごく浮かんで、「これ懐かしい」って思ったんです。

———— それ、おぼろげかもしれないけど、めちゃめちゃ重要な記憶な気がします。
王舟 あと、上海で住んでた家にもオーディオがあって、おじいちゃんとか、従兄弟とか親戚とかが遊びにきてはレコードかけてて、何かしら聴いてたんですよ。

———— じゃあ、日本に来てからは、どういう音楽を聴いてました?
王舟 X(X JAPAN)、スピッツ……。日本に来てまだ日が浅いうちは、日本語がまずわかんないから、結構スピッツとかがとっつきやすかったんですよ。歌詞はわかんないけど、言葉として入りやすいし、シングルで出てるやつぐらいしか知らなかったけどメロディもわかりやすいじゃないですか。

———— オアシスも大好きだったんですよね。
王舟 好きですね。『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』(2000年)くらいのときが最初です。中三か高一くらいでしたけど、テレビで聴いた曲がいいなと思って探してたら、「それ、オアシスだよ」っていわれて。

———— 音楽をやり始めたきっかけも、やっぱりオアシスなんですか?
王舟 いや、最初はギターを友だちが弾いててかっこいいなと思ったのがきっかけですね。それが中学生くらいで、そのころはメタル聴いてました。リフとか、速弾きとか、メタル的なギターのかっこよさが好きで、速弾きを練習することがストイックに思えるから、それを練習してました。コードとかはぜんぜん知らなかった。

———— 速弾きの真似みたいな?
王舟 そうですね。教則本を見て、運指とかを一日何時間もやらなくちゃという感じで。雑誌を見たらエディ・ヴァン・ヘイレンが一日8時間練習するって書いてあったんですよ。でも、毎日8時間なんておれにはぜったい取れないから、「ギターうまくなるにはそれくらい時間がかかるんだ。どうしよう?」って思って。それで、夏休みに友だちと遊ばないことにして、暖房をがんがんに点けて、汗だらだらの状態にして、2時間運指やりました。

———— それはなに? 困難な状況を作ることで時間を短縮できるような?(笑)
王舟 濃縮できるかなと思ったんですよ。8時間って精神的にもストイックだから、おなじくらいストイックな状況にしようと。そういう発想だったんです。そのころは、B'zも聴いてましたね。ギタリストかっこいい、みたいな感じが昔はまだあったから、そういう人がいるバンドを聴いてみたりしてて。でも、オアシス聴いたときに、ぜんぜんそういうのと違うじゃないですか。

———— 違いますね。
王舟 その違う感じは、逆にスピッツに結びついたんですよ。

———— ああ、わかりやすいメロディだし、コードやリフで曲を作ってる感じと。
王舟 ギターがうまいって印象はないけど、曲の良さがある。結構、それまでとは真逆なところで「いいな」と思ったから、ハマったんですよ。ガラもわるかったし。



———— 人生最初のバンドは、どんな感じでした?
王舟 高校では軽音部にも一応入ったんですけど、練習一回だけしか行かなくて。理由はわかんないけど、即行かなくなりましたね。それで、ベース弾いてるやつが友だちでいたから、ドラムを探そうと思って。そしたら、近所に、おなじ高校で家にドラム持ってるやつがいるってベースの子に聞いて。そいつとはぜんぜん仲良くないけど、家まで行って、部屋片付けて、ドラムをセットして、「これで練習できるね」って音出したんですけど、普通の団地だったから、すぐに苦情がきた(笑)。そのバンドはそれきりになりましたね。

———— まだバンドが始まってもいやしない(笑)
王舟 始まらないすね。あと、高校のとき、当時流行ってたメロコアのバンドやってる友だちがいて、そいつのバンドは結構うまくて。メロコアはあんまり知らなかったけど、友だちはeastern youthとかが好きだったし、アメリカのラグワゴンってバンドとかが好きな感じだったから、周りよりは話が合った感じなんですよ。そもそも、おれが音楽やっていこうと思ったのは、その子が将来はバンドで食ってくみたいなのを聞いて、「あ、そんな制度あんだ」って思ったからなんですよ。

———— 制度?
王舟 制度に思えたんですよ。バンドやってたら、メジャー・デビューできて、みたいな。芸能人って、生まれつき芸能人の家に生まれてるんだと思ってたから(笑)。うちの親は日本語もあんまりしゃべらないから、あんまり日本の社会のそういう話が入ってこなくて、子どもが将来どういうふうに社会に出るのか知らなかったんですよ。最初、将来は絵を描こうと思ってたんですけど、音楽で生計立てようとしてるやつが友だちにいるんだと知って、「じゃあおれも音楽で」って思ったんです。

———— じゃあ、割と勘違い的なところから始められたというか。
王舟 そうですね。なんか、オアシスがいけるんなら、おれもいけるんじゃないかって思っただけなんですけどね(笑)。でも、若いときってそういう人結構いません?

———— 日本は今は少ないかも。
王舟 あとバンドの話だと、友だちが高校のときにクラブを借りてイベントするっていうのがあったんですけど、彼はソフトロックとかが好きで。そいつに「ボサノヴァで参加してよ」っていわれたんです。

———— いきなり? ボサノヴァで?
王舟 そいつの家に行ったら、ソフトロックとかボサノヴァとか聞かされて、「こういうのやってよ」っていわれて。「いや、できない」って最初思ったんですけど、聴きながら「これは結構いい音楽だな」とも思ってて。聴いてるうちにそれっぽい曲もできたんで、「じゃあ、できるかもしんない」って返事したんですけど、「でもヴォーカルは自分じゃないほうがいい」ともいったんです。Orange Pekoeも聞かされて、「これっぽい感じだったら、ヴォーカルは女の子だね」ってなってたし。それで、いろんな高校の女の子をオーディションみたいなことをしたんですよ。

———— オーディションを? 王舟が?
王舟 じつはそのオーディションをするにあたって、人生で初めてライヴやって人前で歌ったんですよ。友だちがライヴ・イベントをやるっていうんで、いっぱい人が出てるなかで5分だけ時間もらって、自分で作ったボサノヴァとビートルズの「ブラックバード」歌って、「今、ヴォーカル募集してるんで、よかったら連絡ください」っていってCD-Rを配ったんです。

———— そのCD-R、すごく聞いてみたい!
王舟 オーディションには5、6人くらい応募があって、おれとふたりでそれぞれカラオケに行きました。みんな、MISIAとか歌うんですけどね(笑)。それで、最後に見た子がすごくよかったから、その子と一緒にイベントには出たんです。そのころ、高校卒業後に行くことにしてた音楽の専門学校のオリエンテーションに行ったら、のちにheってバンドでギターを弾く大谷武史ってやつと仲良くなって、連絡とりあうようになって。それで「ライヴも一緒にやろう」ってことで、その子と大谷くんと三人でボサノヴァ・バンドを組んで、東京でも一回ライヴしましたね。

———— でも、結局、そのバンドはあんまり続かなかった。
王舟 続かなかったですね。ボサノヴァっぽいだけで、ボサノヴァやりたいわけじゃなかったし。普通にアントニオ・カルロス・ジョビンとか聴いてみたら、「ちょっと遠いな」って思いました(笑)。

———— 王舟が若いころにボサノヴァ・バンドをやってたという話は僕も聞いたことはあったけど、こういうことだったんですね。曲も自分で書いていたんですか?
王舟 書いてました。短期間に結構いっぱい書けてたから。高3の終わりごろに、学校行かずに家で曲を書いていて、楽しい感じでしたね。

———— 曲は日本語?
王舟 そのときは5曲ぐらい書いたんですけど、2曲日本語で、3曲英語でした。

———— わりと今と似たバランスですね。歌詞が英語のものがあるのはなぜ?
王舟 なんでだろう? 英語のほうがわりと響きが自然だとはそのとき思ったんですよ。……それぐらいの理由ですね、たぶん。

———— 日本語のほうが受け入れられるだろう、とかは考えませんでした?
王舟 英語ばっかりってのも違うなと思うし、日本語っぽく当てはまる曲だったらそれは日本語でやるという感じでしたね。

———— 言いたいことがあるというより、音にはまる語感優先みたいな?
王舟 そうですね。基本はメロディ中心だから、メロディで情緒がわかるみたいな感じなのがそのころから好きですね。オアシス聴いてても、一応歌詞とか見るけど、意味とか別にわかんなくてもいいし。



———— 話は戻りますけど、結局、ボサノヴァ・バンドは解散して。
王舟 「解散」ともいわなかったですけどね。だんだん消滅して。結局、やりたいのはロックバンドだったし、ボサノヴァじゃないな、と。

———— そりゃそうだ。
王舟 バンドがやりたかったわけだから。

———— それで組んだのが、王舟のキャリアとしては一応、初めての本格的なロックバンドで、存在が少しずつ知られるきっかけにもなったバンドであるAMAZON?
王舟 そうですね。それが最初のロックバンドです。おなじ専門学校にSolid Afroの藤田(隆一)がいて、その友だちで佐久間(裕太/昆虫キッズ、スカート)がいて。

———— でも、王舟はAMAZONではベースですよね。それまで、ベース弾いてたという話は出てきてないけど。
王舟 そうですね。「バンドやろうよ」って話を藤田にしたときは、ギターをやれるもんだと思ってたら、藤田がギターとかエフェクターとか急に一式を全部揃えてきてて。佐久間はドラムだったんで、おれが入れる場所はベースになるじゃないですか。だから、藤田からベースを借りて、それを弾きましたね。曲はだいたい藤田が作ってて、2曲くらいおれの曲をやって。今とはアレンジも違うけど、もう「Thailand」もやってました。

———— AMAZONは初期はどのあたりでライヴをやってました?
王舟 吉祥寺とか下北沢でやったりもしてたけど、最終的には新宿のレッドクロスでやってました。そこがバンドに合ってるんじゃないかって話をしてました。音の抜けもいいし、アンプも自作の結構音のいい感じだった。

———— AMAZONはヴォーカルもやったでしょ?
王舟 そうですね。自分で作った曲は自分で歌ってました。でも、やっぱりベースだったっていうのが(笑)。想像してたのは、ギター弾きながらやってる姿だったんで。あと、ベース弾きながら歌うのって、コードに支えられないから、すごく快感を見つけるのが難しかったですね。

———— そのころはヴォーカル・スタイルも今と違ってたし。
王舟 めちゃめちゃシャウトする感じでしたね。なんでシャウトになったかというと、佐久間のドラムがでかくて、普通に歌ってたんじゃ聞こえないからなんですよ。激しく演奏してて音もでかいから、ヴォーカルもそこから抜けられるような感じに自然となっちゃうんです。

———— その時点では、自分のヴォーカルの自然さというか、歌いやすさみたいなものも、まだ見つけてなかった?
王舟 「バンドって歌いづらいな」とは思ってましたね(笑)

———— それこそ高校時代に5分歌ったときのボサノヴァや「ブラックバード」は、今の王舟の感じだったんじゃないかと想像するだけだけど。
王舟 ああ、あれは評判よかったし。いってみれば、今はそっちに戻ってるかもしれないす。

———— AMAZONって結局、どうして解散することになったんですか?
王舟 AMAZONは藤田のやりたいバンドって感じだったし、おれもソロでやりたくなってきたんで少しずつやり始めたんですけど、だんだんソロのほうがおもしろくなってきたから「一回バンド抜けるわ」っていったんです。

———— それがいつぐらい?
王舟 24、25歳くらいすかね。

———— 2008、9年くらいですね。そういえば、20代前半の王舟は、引きこもってゲームばっかりやってた時期があったって聞いたことがあるんですけど。
王舟 ああ、専門学校入って東京に出てきたんですけど、ほとんど学校に行かなくて引きこもって。だからそこから24歳くらいまではその時期ですね。週に一回バンドの練習があるんで、メンバーとはそのときに会うけど、それ以外は、近所にひとり友だちが住んでたんで、その子と遊んだりするくらいでしたね。ほとんどバイトもしてないし。

———— どうやって暮らしてたの?
王舟 それは、25歳まで仕送りをしてもらってたんですよ。ていうか、そういう約束だったんです。親が絵描きだから、25歳まで仕送りするからそこで判断しろ、っていわれてたんです。

———— へえ。甘やかしというより、ちょっと普通の親とは違う感じですね。これでダメならもうあきらめろという判断をしろということですよね。
王舟 そう。

———— でも、「Thailand」もそのころにできてるわけですもんね。
王舟 そうですね。その時期は「曲を書かなきゃ」みたいな感じでもあったんですよ。マイルス・デイヴィスが「俺は24時間音楽のことを考えてる」っていってたんです。「寝てるときも、女といるときも、飯食ってるときも音楽を考えてるんだ」って。それを読んで、「いやあ、おれもまさにそうだよ」って思ったりしてました(笑)。でもそれが、曲ができなかったり、だらけたりするとゲームに走る。ただ、他にやることなかったし、外に出たり、エネルギーをあんまり使わなかったし、そういう状況で、曲が書けなかったらおれはどうするんだとも思ってました。

———— ある意味、ヴァン・ヘイレンの影響でギターの練習した話とも通じるストイックさ。
王舟 そうそう! でも、出だしはストイックなんだけど続かないんですよね(笑)。

———— で、25歳でじっさいに仕送りは途絶えたんですか?
王舟 そうですね。で、24歳ぐらいのときに初めて八丁堀の七針に行って、そこからソロでもライヴをちょくちょくやるようになるんです。それまではライヴをやればライヴハウスにノルマしか払ってなかったから、「これでどうやって音楽で食っていけるんだ?」って思ってたのが、七針に出て、初めてギャラをもらったんですよ。超少ないけど、それで見方や考え方が変わりましたね。

(つづく)

◆王舟「Wang」ができるまで vol.2
http://1fct.net/interview/interview033

interview & text : 松永良平





王舟 1st Album “Wang” 特設サイト
http://wang.ohshu-info.net
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Wang
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  • PECF-1099 / felicity cap-202
    [CD] ¥2,300 with tax

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PROFILE
王舟Oh Shu
王舟「Wang」ができるまで vol.1シンガーソングライター。
2010年、自主制作CDR「賛成」「Thailand」を鳥獣虫魚からリリース。
2014年、1stアルバム「Wang」、7インチシングル「Ward/虹」をfelicityからリリース。
2015年、1stアルバムのアナログバージョン「Wang LP」、12インチシングル「ディスコブラジル」をfelicityからリリース。
バンド編成やソロでのライブも行なっている。

http://ohshu-info.net/
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