INTERVIEW

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王舟「Wang」ができるまで vol.2

  • 2014.06.25

第一回の最後でようやく八丁堀の七針にたどりついた王舟。いよいよ本格的にソロ活動をはじめる。
七針でのミュージシャンたちとの出会いと交流、そしてトクマルシューゴに認められて出演した〈Tonofon Festival 2011〉でのCD-R完売事件などが今回の話題。
七針から『Wang』前夜に至る、くねくねと回り道し、時に立ち止まり、しかし、着実に王舟がたどってきた道筋を語る第二回。


<バックナンバー>
◆王舟「Wang」ができるまで vol.1
https://1fct.net/interview/interview032



———— 前回は、王舟が24歳だった2008年ごろに八丁堀の七針にソロで出演したときに、少ないけれどそれまでノルマを課されてライヴ後にお金を支払うのではなく、初めてミュージシャンとしてギャラをもらって考え方が変わったというところまでの話でした。
王舟 江古田のフライング・ティー・ポットとかもそうでしたね。

———— 七針は王舟やAlfred Beach Sandal、oono yuukiたちを輩出したライヴスペースとして今でこそ名前を知られているけど、当時は場所も出てる人たちもまだ、ほぼ無名でしょ? そもそも七針のことはどういうきっかけで知ったんですか?
王舟 当時もう顔見知りになっていた麓(健一)さんや中井さん(寛樹、kitiレーベル主宰)から「七針っていう場所がある」って話は聞いてたんです。友達に安倍くんっていう子がいて、彼から音楽をいっぱい教えてもらってたんですよ。トクマルシューゴも安倍くんに教えてもらったのが最初です。その安倍くんが七針にもよく行ってて、「出てるみんなが、すごくいい」って聞いたんです。おれは麓さんだけ知ってたけど、安倍くんがよく話してたmmm(ミーマイモー)とかoono yuukiとかはまだ知らなかったから、myspaceで聴いてみたんですよ。そしたら、やってる音楽がすごくいいし、七針のスケジュールを見てみたら、ふたりとも結構出てたから、それで麓さんのワンマンがあるときに初めて七針に行ってみたんです。それがきっかけで、よく行くようになりましたね。

———— 最初はお客として?
王舟 そうですね。

———— 「自分もここでやってみたい」と話をしたのはいつごろですか?
王舟 半年ぐらいしてからですね。そのときはもう「瞬間」とかはできてて、myspaceにアップしてたんですよ。でも「七針ってわりとアート志向な人が来る店で、こういう日本語の歌ものっぽいのはみんな好きじゃないだろうな」とも勝手に思ってたんです。そしたら、アップしてみたらわりとみんなの評判がよかったから、それで「ちょっとライヴでもやろうかな」って感じになったんです。そのころにはお店とも仲良くなってたんで、Paradiseの関口(萌)くん、昆虫キッズの高橋(翔)くん、あと山田UK、自分のソロっていう4組で無料ライヴをみんなで企画して。それが七針でやった初めてのライヴですね。

———— 当時の七針の雰囲気って、どんな感じでしたか?
王舟 みんな結構早くから仲良くなってたけど、「馴れ合うのはやめよう」みたいな雰囲気もすごくありました。おれもそうだったんですけど、それまで音楽をやってる友だちがそんなにいなかったような人たちが、七針に来て、急にいっぱい友だちができた。あそこにいた人の多くが、初めてそういう場所に来た人たちだったんじゃないかな。それまでひとりでストイックにやってきた自負があるから、仲はいいんだけど、馴れ合いたくないみたいな感じはみんなにありましたね。

———— そういうときにわりと自分から話しかけていけるタイプですよね?
王舟 その人がおもしろかったりすると興味が湧くから、そしたら結構しゃべりに行くタイプです。だから、七針はそういうおもしろそうな人が多かったんだと思います。

———— そういう群れない距離感で七針に集まっていた人たちが、どこかのタイミングでメンバー的にも混ざり出すじゃないですか。それこそoono yuukiの大人数バンド編成だったり。そういう動きの始まりは覚えてますか?
王舟 当時、oono yuukiバンドでチェロを弾いてた(ナガヤマ)タカオさんって、最初は現代音楽をやってた人だったんですけど、その人が「大所帯バンドをやろう」みたいなことを言い出したんです。そのときはタカオさんがコンダクターで麓さんの曲のカヴァーをやって、楽しかったんですよね。あと、mmmが「ぐるぐる回る」に出たとき(2010年)に7、8人くらいの編成でやったり。でも、それはどっちも一回きりで終わる感じだったんですよ。そういう一時的な動きもありつつ、おれはそのころにはマフィン・バンドでドラムを叩いてた岸田(佳也)さんと知り合ってて、それでふたりでスタジオに入ったりもしてたんですよ。

———— 王舟の今のサウンドの基本を考えるうえで、岸田くんとの出会いは大きいですよね。
王舟 そうですね。スタジオで一緒にやってよかったから、一緒にライヴもやりたいなと思ってました。そこで七針の店主の林谷(英昭)さん、フジワラ(サトシ)くんに初めてのソロ・ライヴを手伝ってもらって、最後に一曲ぐらい岸田さんに入ってもらったんですよ。岸田さんが入ってからドラムがちゃんときまるようになって、そこから「いろんな楽器入れたらおもしろそうだ」って思えるようになっていったんです。岸田さんのドラムは、周りの上ものやメロディとの関連性が高くて、ふわっとしたアンサンブルにすごく合うんです。おれと一緒にやったからそういうふわっとした感じになったのかもしれないですけど。

———— 最初のCD-R『賛成』(2010年)を出そうと思ったきっかけは?
王舟 麓さんがCD-R出してて、oonoくんもmmmもフジワラくんも出したし、「名刺みたいな感じであるといいよ」って言われたからですね。でも、『賛成』はあのとき家で録り貯めてたいろんな曲のなかから、関連性が見えるやつを集めたやつで、立ち位置的には日記みたいなものでしたね。

———— 『賛成』には、もう「瞬間」が収録されてますよね。
王舟 でも、「瞬間」はこのころはライヴではやってないですね。『賛成』は宅録で、あれに入ってる感じをバンドで再現するには結構練習しないといけなかったし。あのころは、練習にも入れなかったし、練習すりゃいいもんじゃないとも思ってて。「ガチガチに練習してなくても音楽の良さはあるじゃん」って考えながらやってたんです。

———— 作品を出したことで、一番大きく褒めてくれたのは誰ですか?
王舟 それをいったら、やっぱりトクマルさんですね。七針にライヴを見に来てて、「よかったです」って言ってくれて。トクマルさんとは、シャンソン(シゲル)さん、松本(頼人)さん、ユミコさん、hara kazutoshiさんが出てた弾き語りのライヴの打ち上げで初めてしゃべって、「La'sっていいですよね」って話をしました(笑)

———— 初対面のトクマルシューゴとLa'sの話(笑)
王舟 よく考えたら、昔見たトクマルさんのライブのドラムで岸田さんがいたんですよ。シャンソンさんも、マフィンさんもあのときはいたし。

———— じつは知り合いばかりだったという(笑)。そういうつながりがあって、Tonofon Festival 2011(2011年6月12日、所沢航空公園)出演になるんですね。
王舟 そうですね。『賛成』を3月、『Thailand』を8月に出して、次の年でしたね。

———— その日の物販で、ほぼ無名だった王舟のCD-Rがめちゃめちゃ売れたという伝説を作ることになります。
王舟 ギターを持ちながら、リュックにCD-Rを200枚くらい詰め込んでいったんですけど、肩が取れそうになるくらいで、めちゃくちゃ重いんですよ(笑)。しかも、持ってったら「何してんの? なんで物販こんなにいっぱい持ってきたの?」みたいなことを言われて。

———— 「持ってきすぎだろ」って(笑)
王舟 でも、1000人ぐらいお客さんが来るって聞いてたから、これぐらいあったほうがいいだろっていうふうに思ってたんですよね。「何してんの?」って言われた途端に我にかえって「あ、確かに」って思いましたけど(笑)

———— それが蓋を開けてみたら。
王舟 結構早くになくなったんです。

———— 完売でしょ?
王舟 よかったです。

———— その日のライヴを見ての完売だし。
王舟 そうですね。誰もおれのCDを最初から欲しかった人はいなかったと思う。

———— 大逆転じゃない? どう思いました?
王舟 もともとは「1000人くらいいたら、500円くらいの音源を買う人は結構いるもんだろう」と思ってたから、まあその考えに立ち返って納得したというか(笑)

———— でも、その完売を実現させたのは演奏がよかったからでしょ。
王舟 そうですね。その日の演奏もよかったんですよ。みんな結構緊張してたけど。それまでは七針とか下北沢440とかでやってるから、ステージも広くなくて8人でぎゅうぎゅうじゃないですか。Tonofonはステージがすごく広い。だから、周りを見たら、みんなすごい後ろに下がってるんですよ。右を見たら、柱谷さんだけグラサンかけておれの傍によって来てた(笑)。いつもやってる感じではなかったですけど、おもしろかったですね。

———— 僕はそのときのTonofonは見に行けなかったんですけど、うわさを聞いて気になってyoutubeを見てみたら、電気グルーヴの「虹」のカヴァーが上がってたんですよね。それがまた意外で、さらに気になって。
王舟 「虹」をカヴァーしたのは、もともと電気グルーヴが好きだったからじゃなくて、『エウレカセブン』ってアニメが好きで、その最終話に「虹」が流れて「めっちゃいい曲だ」って思ったからなんですよ。『エウレカセブン』も安倍くんに教えてもらったんですけど、安倍くんがライヴ見に来るっていうから、彼がハッとするように弾き語りで「虹」をやろうと思って。やってみたら、メロディの起伏がすごく理にかなってるというか、結構歌いやすくて、周りの評判もよかったし、バンドに持っていったらすごいはまったんです。バンドのみんなも電グルがすごい好きだったし。

———— このTonofonがきっかけになって、この王舟という謎めいたアーティストが、これからまた第一線に浮上してくるんだろうなと予感してた人が多かったと思うんですが……、そこから時間がかかりましたね。
王舟 かかりましたね。アルバムをレコーディングして、ミックスでダメだと思って、もう一回レコーディングやり直して……。できたものをどうやって出すかということを自分でも考えずに作ってたから、長い時間かけて作ってるうちにだんだんモチベーションもなくなってくるわけですよ。そのうち「別にもう出さなくてもいいんじゃん」とも思うんだけど、人のレコ発に行くと、その人のアルバムがどうなってるのか気になるし、たまにライヴのときに「アルバム待ってます」って言われるから、そう言われたら、「やべえ、どうしよう」って思ったり。そんな状態が続きました。

———— どこかのレーベルから声は、かからなかったんですか?
王舟 あったんですけど、結局、声をかけてくれた人と一緒にやっていく想像ができないと、やりたくなかったんです。作ってるときも、「アルバムをここから出すからこういうふうにしたほうがいい」とかいっさい考えたくなかったから、何も決めずにいたし。

王舟

———— 結局、アルバムになりそうだった素材を一回は全部止めてしまって。そういうときに立ちはだかる自分のハードルってどんなものなんですか? たとえばCD-Rとはいえ、『賛成』と『Thailand』の2枚は出せたわけじゃないですか。
王舟 じつは、『賛成』より先に『Thailand』を作ってたんですよ。でも、ミックスがうまくいかなくて。だけど何かCD-Rを出そうと思って、宅録の音源を集めて『賛成』を出したんですよ。あと、そのころ作ろうとしてたファースト・アルバムは自分だけで作るんじゃなくて、周りに一緒にやってみたい人がいろいろいるし、みんなでやってみようというテーマがあったんです。でも、いろんな人たちとやることで、もっと「こうしたほうがいい」とか「こうしよう」って言われるもんだと思ってたんですけど、やっぱり主導権はおれのほうにあって。自分のアルバムなんだから、それは当たり前なことなんですけどね。要は当たり前な方向に行ったら、どうしたらいいかわかんなくなったということなんですよ。

———— そんな袋小路から、ようやく抜け出せたからこそ『Wang』はできた。
王舟 制作を手伝ってくれるタッツ(仲原達彦)と話をして、とりあえず「出す」ということは決まってたんですよ。去年の夏にはレコーディングもほぼ終わってました。でも、今年の初めまでは、ヴォーカルももう一回録り直すって状態だったし、まだどういうふうになるのかわかんなかったし。光明が見えてきたのは、3月になって奈良のKCさん(岩谷啓士郎)の家でミックスをしてもらったときですね。

———— めちゃくちゃ最近の話じゃないですか。
王舟 それまではずっと袋小路でした。KCさんのミックスを聴いて、ようやく「これだったら出せる」という感じになったんです。それは、すごい一歩でしたね。「もはや自分ではわかんない」と思えたんですよ。

———— 「もはや自分でわかんない」というのは? 音楽を自分から手放す境地というか。
王舟 そうですね。自分のこだわりから音楽を手放したかったんですけど、「じゃあ、おまえが手放したそんなものを誰が拾うんだ?」という感じがずっとあったんです。それをとりあえずKCさんに拾ってもらえて、作業もすごく丁寧にやってくれて。最初にラフ・ミックスを作ってもらった段階では結構音の注文をメールでしたんです。そのときに、おれとKCさんの間にトクマルさんに通訳で入ってもらって「具体的にはこういう作業なんじゃないか」って、おれが言ってることをわかりやすく伝えてくれて。奈良に行く前くらいにもらったラフの時点で、もう結構思ってた感じに近くなってました。

———— アルバムにも〈アドバイザー〉としてクレジットされているけど、トクマルくんの存在は大きいですね。
王舟 そうですね、「なんでこんなに手伝ってくれるんだろう?」って思ってます。アドバイスがうまいというか、音楽的にこうしたほうがいい、みたいなことはあんまり言わないんですよ。「こういう方法とこういう方法がある」っていうんですよ。そのなかから選ぶのも自由だし、方法を示してくれてるだけの感じ。それ以上は押し付けなくて、すぱっと男らしいんですよ。

———— あと、さっきも言ってたけど、じつはとことんまで突き詰めたい性格である王舟が、「もはや自分でもわからない」という状態で、自分を放り出せるようになったことも大きいですよね。本人はその境地になるまですごく苦労したと思うんだけど、ひょっとしたら、それは王舟の音楽を聴いた人はすでに感じていた魅力でもあると思うんです。自分というものからあらかじめ解き放たれてるような部分。人によっては「ああ、王舟は中国から来た人だから」って思うかもしれないし、ある人はまた別のとらえ方をするかもしれないし。
王舟 そうなんです。勝手に解釈されることには抗えない。そういう感じがいいと思うんですよね。勝手に解釈されたくないと思ったところで、「じゃあおれは勝手におれのことを解釈してる人の何を知ってるんだ?」ということでもあるから、おれが勝手にオアシスのことをイメージしたように、みんな勝手にイメージしていいんですよ。そこが自由なのがポップ・ミュージックのいいところだし。上海で子どものころに聴いてたニューオリンズ・ジャズもそうで、研究対象として見なくても楽しめるじゃないですか。なんでその音楽を楽しめるかといったら、理由が人それぞれにあるから。そういう感じが結構好きなんですよね。

———— 王舟の音楽もまさにそうで、聴いた人がそれぞれ違う場所に向かったり、たどり着いたりすると思うんですよ。
王舟 『賛成』を出したときにDJの人に「いいね」とか言われるのも、うれしかったですね。ボブ・ディランが「曲はひとりでに歩き出す」みたいなことをいうじゃないですか。それはいい言葉だなと思いますね。もはや、書いた人のものですらない。それを誰か好きになった人のなかでは、もうその人のものになってて。それをコントロールできる人もいるかもしれないけど、おれはそうしようとは思わない。

———— 「Thailand」だって、もう10年くらい歌ってるわけだし、作ったときの感じとはもう完全に違うものになってるでしょ。
王舟 そうですね。それこそバンドが今の編成になってるというのも、みんなおれと違う解釈をするわけで、それがあって原曲とまったく違う仕上がりになっていく感じがある。ミュージシャンもリスナーになるわけで、聴いたときにその人のとらえ方でレスポンスをする。そういうのがいいと思います。

———— 歌のなかに、聴く人をしばるような決まりきった物語がない。
王舟 一応、物語もあるといえばあるんですけどね。でも、聴いてる人の頭のなかに漠然とした物語になりそうな要素がそれぞれにあって、音楽を聴いたりしてそれがかたちになったりするじゃないですか。自分が人の音楽を聴くときも、それがいいと思うんですよ。

———— 王舟のやっているのは、まさにそういう部分をめちゃめちゃ刺激するような音楽だと思いますけどね。じゃあ、ここからはアルバム『Wang』の曲についての話をしていきましょうか。

(つづく)

◆王舟「Wang」ができるまで vol.3
https://1fct.net/interview/interview034


interview & text : 松永良平




王舟 1st Album “Wang” 特設サイト
http://wang.ohshu-info.net

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Wang
  • 2014.07.02 On Sale
  • PECF-1099 / felicity cap-202
    [CD] ¥2530

<TRACK LIST>

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  • 瞬間
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PROFILE
王舟Oh Shu
王舟「Wang」ができるまで vol.2

2014年7月、多くのゲストミュージシャンを迎えてバンド編成で制作したデビューアルバム「Wang」をfelicityからリリース。
2015年11月、12インチ重量盤シングル「ディスコブラジル」をリリース。B面にはnakayaan(ミツメ)によるリミックス収録。
「ディスコブラジル」のミュージックビデオは、UKのアーティスト、KINDNESSことアダム・ベインブリッジが監督。
2016年1月、たったひとり、宅録で制作した2ndアルバム「PICTURE」をリリース。
2016年9月、MOCKYによるリミックスが収録された7インチシングル「Moebius」をリリース。
2018年5月、BIOMAN(neco眠る)と共作でインストアルバム「Villa Tereze」をイタリアにて制作、NEWHERE
MUSICからリリース。2019年5月、宅録とバンド演奏を融合させた3rdアルバム「Big fish」をリリース。2020年放送「ドラマ24
コタキ兄弟と四苦八苦」にて劇伴を担当。バンド編成やソロでのライブ活動のほか、CMへの楽曲提供、他アーティスト楽曲へのゲスト参加、プロデュースなどもおこなっている。


http://ohshu-info.net/

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  • tatebue
  • 瞬間
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